東京地方裁判所 平成3年(ワ)13258号 判決 1995年12月25日
原告
向井文孝
同
向井健
右原告法定代理人親権者父
向井文孝
右両名訴訟代理人弁護士
小沢浩
被告
竹松直彦
右訴訟代理人弁護士
須田清
同
長谷川健
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告らに対し、各金三九三二万九〇七五円及びこれに対する平成二年一二月一九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 当事者の主張
本件は、被告の医院で出産をした産婦が出産後約五時間後にショック状態に陥り、その約七時間後に死亡したことに対し、死亡した産婦の相続人である原告両名が、右死亡は、被告の産婦に対する監視義務違反、救急義務違反の行為に基づくと主張して、債務不履行又は不法行為を理由に損害賠償を請求した事案である。
一 前提事実(争いがない。)
1 原告向井文孝(以下「原告文孝」という。)は、亡向井祐子(以下「亡祐子」という。)と平成元年四月婚姻した。
2 亡祐子は、平成二年四月懐胎し、同年九月二一日、竹松産婦人科との名称で産婦人科の診療所(以下「被告医院」という。)を経営する被告の診察を受けて被告と診療契約を締結し、その後、被告医院に、定期的に通院していた。
3 亡祐子は、同年一二月一七日、出産のため、被告医院に入院し、同月一九日午前五時二八分(以下時刻のみで年月日を示さない場合は、同日を指す。)原告向井健を出産したが、午前一〇時三〇分ころショック状態に陥り、午後五時五〇分ころ、転院先の医療法人城昇会北本共済病院(以下「北本共済病院」という。)で死亡した。
二 原告らの主張
1 被告の監視義務違反
亡祐子には、軽度の高血圧症があり、一時的に降圧利尿剤により血圧を低下させていたものの再度上昇する素地は十分にあり、妊娠中毒症に進展する可能性が高いこと、陣痛促進剤として過強陣痛を起こしやすく、多量の出血も予想されるアトニン、プロスタルモンの併用点滴を連続二日間にわたって施行していること、特に、亡祐子は、出産後病室に帰室してからも、痛い痛いと激痛を訴えていたことなどから、被告は、自ら亡祐子を診察し、また、その出血量、血液の性状、血圧、脈拍、子宮底の高さ、尿量などを分娩後二時間を経過しても、経時的に検査し、亡祐子の状態を監視する義務がある。
ところが、被告は、亡祐子が分娩室から病室に帰室した午前六時三〇分から出血性ショックを起こす午前一〇時三〇分ころまでの間、看護婦に対し、亡祐子の脈拍、血圧等の測定も指示せず、自らは一度も診察しなかった。特に、午前九時ころまで亡祐子は激痛を訴えていたにもかかわらず、被告は、自ら亡祐子を診察せず、午前九時四〇分ころ看護婦にボルタレンを亡祐子に挿入させただけであった。被告のこれらの行為は監視義務に違反する。
2 被告の救急義務違反
被告は、医師として入院患者の状態が急変した場合には、原因の究明のほか、挿管をするなどして気道を確保し、呼吸を管理し、また血管を確保して輸血・輸液を行うなどの循環系の確保をする義務がある。
ところが、被告は、午前一〇時三〇分に亡祐子の状態が急変した後も、病因の究明をせず、午前一一時一〇分安部裕之医師(以下「安部」という。)が挿管を行うまで、挿管せず、気道確保、呼吸管理を行わなかった。また、被告は、亡祐子の出血量は二一〇〇ミリリットル以上であったので、少なくともそれ以上の大量の輸液が必要であったにもかかわらず、被告は、午前一一時一〇分まで輸血の手配を行わなかった。被告のこれらの行為は救急義務に違反する。
3 死因と被告の責任
亡祐子は、分娩後、計二一〇〇ミリリットル以上の出血をして、午前一〇時三〇分ころ、出血性ショックに陥ったものであるが、その原因は弛緩出血若しくは頚管裂傷又はその併合である。
そして、右1のとおり、被告が監視義務に違反して亡祐子に対する監視を怠ったため、午前一〇時三〇分の出血性ショックを防止することができなかった。また、右ショック状態において、右2のとおり、被告は救急義務に違反して、適切な救急行為を行わなかったため、亡祐子は死亡した。
なお、仮に亡祐子の原因が肺栓塞などで不可抗力と評価されるとしても、被告は右1のとおり、遅くとも亡祐子が激痛を訴えていた午前九時又は午前九時四〇分ころまでにこれを診察せず、監視義務に違反していて、履行遅滞の状態にあったといえるのであるから、それ以後の不可抗力による履行不能についても責任がある。
三 被告の主張
1 被告の監視
被告医院においては、病室、看護婦詰所、分娩室、医師の外来診察室は近接している。被告は、看護婦に、亡祐子の出血状態、全体状態を監視させ、看護婦の悪露交換時には、看護婦から、病室に近接した診療室において亡祐子の出血の有無、程度を報告を受けていたし、被告自身が午前九時四〇分に亡祐子に対する診察を行っている。したがって、被告は亡祐子の状態を常時把握し、緊急時には即時病室に赴いて必要な処置ができる態勢にあったということができ、監視義務に違反するところはない。
2 被告の救急行為
亡祐子は、午前一〇時三〇分に状態が急変し、ショック状態になったところ、被告は、直ちに、酸素吸入を開始し、挿管の措置をとり、静脈路確保のための点滴を行い、昇圧剤のカルニゲン、副腎皮質ホルモンのソルコーテスを投与し、上尾の血液センターに輸血用の血液を依頼しており、緊急義務に違反するところはない。また、状態が急変したので、病因の究明の時間はなかった。
亡祐子は、極めて短時間のうちにショック状態に陥り、短時間のうちに心停止、呼吸停止の状態に陥っており、医学的にこれを防止することはできなかった。
3 亡祐子の死因と責任
亡祐子の総出血量は、一二一〇ミリリットルである。また、極めて短時間のうちにショック状態に陥り、短時間のうちに心停止、呼吸停止の状態に陥っていることなどから、亡祐子は、潜在的な何らかの全身状態の異常、又は羊水塞栓、肺塞栓で死亡したことが考えられ、弛緩出血又は頚管裂傷で死亡したのではない。
亡祐子の分娩後の子宮の収縮状態は良好で、本件は弛緩出血とは考えられない。仮に、弛緩出血であったとしても、分娩後四時間以上経過した後の急激な子宮の弛緩であり、予想外のことで、被告に責任はない。また、午前一〇時三〇分までの出血量は正常な範囲であり、胎児娩出直後からの異常な出血は認められないこと、被告の確認した血液は鮮血色の血液でないことなどから頚管裂傷とは考えられない。
なお、亡祐子の死因は、解剖によって明確になるものであるところ、原告文孝らが亡祐子の解剖を拒んだため、その死因が明確にならず、被告に過失がないことを反証することができなくなったのであり、原告らが死亡原因の主張を不明確にしたまま選択的な主張をすることは信義則上許されない。
第三 当裁判所の判断
一 事実経過について、前記前提事実及び<書証番号略>、証人安部裕之の証言、原告文孝、被告(第一回、第二回)各本人尋問の結果、鑑定の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 被告は、昭和三八年以降、産婦人科を専門とする医師であり、昭和六一年から竹松産婦人科という名称の被告医院において診療を行っている。被告医院は、一階で外来の診療を行い、二階に病室、分娩室等があり、三階が被告の自宅となっている。
2 亡祐子は、平成二年四月懐胎し、同年一二月一四日を出産予定日として埼玉県鴻巣市の林繁医師の診察を受けていたが、同年九月二一日、同医師の紹介により、被告の診察を受けて被告と診療契約を締結し、以後、定期的に被告による妊婦検診を受けることとなった。
同年九月以降、亡祐子は、定期的に被告の検診を受けたが、血圧値が若干高値を示す(血圧値の推移 同年一〇月二一日、上が一五八mmHG下が一〇〇mmHG(以下血圧の単位は省略する。)、同年一一月二日、一五〇の九〇、同月一四日、一三八の七六、同月二四日、一四四の八六、同年一二月七日、一三六の八六)ほかは、特に異常はなかった。また林医師からの紹介時には、ヘモグロビン9.9、ヘマトクリット値30.1パーセントで貧血傾向が認められたが、同年一一月一四日の被告の血液検査の結果では、赤血球二九二万、ヘモグロビン11.6、ヘマトクリット値34.7パーセントでほぼ正常値を示し、自然に貧血症は直っていた。
3 同年一二月一四日、亡祐子の出産予定日であったところ、亡祐子には陣痛の発来もなく、血圧は一五二の一〇六で、高値を示し、妊娠中毒症の疑いがあり、被告は、降圧利尿剤であるラシックス及びカリウム補充剤のスローケー三日分を与えたが、出産予定日を過ぎており、中毒症状が続くと困るので、胎児の様子を確認したうえ、同月一七日までに出産しない場合には、同日に陣痛誘発の処置をとることを決定した。
4 同月一七日午前八時三〇分、亡祐子は、妊娠四〇週五日で、分娩誘導の目的で被告医院に入院した。
入院後、被告は、亡祐子に対し、グリセリン浣腸をした後、子宮軟化促進剤であるマイリス二〇〇を静脈注射し、五プロのブドウ糖の五〇〇ミリリットルの中にアトニン五単位とプロスタルモン一ミリを混入し、点滴によって午前九時三〇分から分娩誘導を行ったが、同日は陣痛の発来が見られず、午後四時一〇分点滴を中止した。点滴を中止した後、亡祐子は病室に戻ったが、病室における亡祐子の状態は良好であった。
5 翌一二月一八日午前七時、血圧は一一四の六〇であり、正常であった。
同日午前八時三〇分、前日と同様、グリセリン浣腸、マイリス二〇〇の静脈注射、アトニン、プロスタルモンを混入したブドウ糖の点滴を一分間に一五滴の速度で行って、分娩誘導を開始し、その後同日午後一時三〇分に一分間に三五滴の速度にするまで徐々にその速度を増していった。
同日午後二時、被告は、分娩を促進させるため、亡祐子に対し、人工的に羊膜の破膜をして破水させ、同日午後三時二八分、子宮頚部の子宮口を軟化させるためブスコバン一アンプルを注射した。また、この日、子宮口の開大を妨げているという診断から、子宮膣部の中隔の上下を一センチメートルずつ切断したが、出血はほとんどなかった。
同日午後四時二五分、亡祐子の疲れも考慮して、同人に対する陣痛促進剤の点滴を一時中止し、亡祐子を病室に帰室させ、経過を観察した。
同日午後七時ころ、亡祐子は五分間隔で陣痛が間欺的に発来した。
同日午後一一時、亡祐子は、陣痛が増強したため、被告の指示により分娩室に入室し、分娩監視装置をつけ、血管確保のためブドウ糖液の点滴を受けていた。
6 同月一九日午前二時ころ、被告は、微弱陣痛のため、亡祐子に対し、アトニン五単位、プロスタルモン一アンプルの点滴を一分間に一五滴の速度で再開した。
亡祐子は、午前五時二〇分子宮口全開、同二六分排臨(児頭が陰裂の間から見え隠れする状態)、同二七分発露(陣痛がないときでも児頭が見える状態)した。
排臨時から、分娩監視装置により、胎児に遅発性徐脈を認めたため、母体に酸素を供給し、会陰の左側切開施行後、吸引分娩(一回)で同二八分、男児(原告向井健)を娩出した。原告向井健の状態は正常で、アプガールスコアは九点であり、胎児の娩出後の子宮底は臍高であった。
午前五時三三分胎盤が娩出した。胎盤娩出後、腹部の触診を行ったところ、子宮底は三横指臍下にあり正常で、分娩直後の子宮の収縮は中程度だった。また、分娩後通常行っている子宮頚管鉗子を使って裂傷の有無を確認したが、頚管裂傷、膣壁裂傷などの異常はなく、通常の措置として子宮収縮剤のメテナリン一アンプルを点滴投与、パルタン二錠を内服投与し、左側切開した会陰を四針縫合した。
後出血量は約二〇〇ミリリットルと正常範囲内であり、分娩後、午前六時三〇分まで、分娩室で亡祐子の状態を観察したが、特に異常は認められなかった。
7 午前六時三〇分、亡祐子には分娩後特に異常と認められる出血がなく、一般状態も良好だったため、被告は、亡祐子の子宮底を腹の上から手で圧迫して子宮が収縮していることを確認した上、同女を分娩室から病室に帰室させた。このとき亡祐子は分娩室で、分娩台からふらつくことなく下りて車椅子まで移動し、車椅子で病室の入口まで移動した後、病室でも入口から立ってベッドへ自ら歩いたが、歩く様子に特にふらつきは認められなかった。右時刻の亡祐子の血圧は一三四の九〇、脈拍は九〇と正常であり、体温は37.8度と若干高めだったが、異常な出血はなく、ただ縫った会陰付近に創痛があった。しかし、創痛は特に異常なことではないため、被告は、特に鎮痛剤などは投与しなかった。
また、このころ、亡祐子の母である島田トヨ及び原告文孝が被告医院に到着し、後記8のとおり、午前九時四〇分ころまで亡祐子の病室等にいた。
8 被告は、亡祐子を病室に帰室させた後、三階又は一階にいて外来患者の診察を行ったりしており、亡祐子の状態については、通常の例に従い、痛みや出血の状況に注意するように看護婦に指示していたところ、看護婦は、午前七時及び午前九時四〇分に、悪露交換を行った。午前七時の出血量は五〇ミリリットル、午前九時四〇分の出血量は七〇ミリリットルであり、いずれも、出血量は正常の範囲内であり、被告はその旨の報告を看護婦から受けた。しかし、いずれのときも、亡祐子は疼痛を訴え、午前九時四〇分には、被告は、疼痛緩和の目的でボルタレン五〇ミリグラム座薬の投与を指示した。
また、午前九時四〇分ころ、原告文孝及び島田トヨは病院側の勧めで島田トヨの家に帰った。
午前一〇時、看護婦が確認したところ、亡祐子は病室において眠っていた。
9 ところが、午前一〇分三〇分、亡祐子の状態が急変し、ベッドを下りて助けて助けてなどと大声で叫び、ベッドの横でかがんでしまっていた。
一階の外来で診療中であった被告は、看護婦の緊急のコールを受けて、直ちにかけつけたが、亡祐子はベッドの横でうずくまっており、ベッドに上げて診察したところ、同女は、意識は朦朧とし、顔面蒼白、血圧八〇の五〇、四肢末端冷感、チアノーゼを呈し、出血が認められ、脈拍をとることができず、瞳孔は散大気味で、対光反射プラスの状態であった。
このとき、被告は、亡祐子の膣内から膿盆にコアグラ四五〇ミリリットルの少量の鮮血が混じる暗赤色の凝結を伴う血液を採取した。また、丁字帯の血液量を看護婦が確認したところ、四四〇グラムあった(合計出血量約八九〇ミリリットル)。
被告は、速やかにテフロン針を使用して点滴を開始し、酸素吸入を行い、昇圧剤のカルニゲン、血圧の上昇等をもたらすソルコーテフなどを静脈注射するとともに、看護婦に命じて、上尾の血液センターに輸血用血液の手配をし、北本共済病院に医師の緊急応援を要請した。
10 午前一〇時五〇分ころ、北本共済病院から安部が到着したが、その安部到着直前から亡祐子の脈拍をとることはできず、瞳孔は散大し、呼吸が停止し、安部到着時には、心停止の状態になっていた。被告は、安部到着時、気管内挿管をしていたが、安部はこれを解除して、ボスミンを心臓内に直接投与し、心臓マッサージを行った。また、すでに静脈からの点滴は行われていたが、安部は、中心静脈カテーテルによって鎖骨下静脈からの点滴路を確保した。
11 午前一一時二〇分ころ、亡祐子は、救急車で被告医院から北本共済病院に到着したが、その時点でほぼ死亡の状態であり、集中治療室に入室した。北本共済病院では、心マッサージを行い、ボスミンを投与するなどの措置を行った。同病院に転院直後の血液検査の結果は、赤血球一九七万、ヘモグロビン6.1、ヘマクリット値19.0で強度の貧血状態にあった。北本共済病院では午後一時、輸血を開始し、二本の輸血を行った。これらの血液は、被告が血液センターに手配したもので、午前一一時三〇分ころ被告医院に到着し、北本共済病院にまわってきたものである。
しかし、既に亡祐子の回復は見込めない状態であり、午後五時五〇分、同女は死亡した。
12 亡祐子死亡後、被告らは、亡祐子の遺族らに対し、病因究明のための解剖の申し出をしたところ、遺族らは、一度は了承したものの、解剖担当医の都合で解剖が翌日になることになったことなどもあり、最終的には解剖に反対し、解剖は行われなかった。
二 争いのある事実関係について
右認定に関し、特に争いのある事実関係について判断する。
1 原告らは、総出血量は、二一〇〇ミリリットル以上であったと主張し、特に、右一で認定した出血量のほかに、甲第三号証の記載により、午前一一時一〇分に八九〇グラムの出血が存在したと主張する。
しかし、甲第三号証の原告が指摘する部分の記載は、一一時一〇分との記載のあと「Dr安部 子宮内より890gコワグラ、出血あり」と記載され、下の行には「挿管 IVH挿入 O2使用」と記載されているところ、証人安部の証言によれば、右は北本共済病院の看護婦により記載されたもので、安部は、中心静脈カテーテル挿入等のショックに対する緊急措置はしたものの、子宮内の血液を掻き出したりその量の測定をしたりしていないことが認められ、かつ、右記載に先行する上の行には、被告医院からの申し送り事項と認められる「竹松産Hにて12/195‥28 吸引分娩にて出産‥(省略)‥一〇時三〇分大声でさわいでいる様子あり訪室したところ‥(省略)‥顔面蒼白、四肢末端冷感 チアノーゼ+ BO80/50 P触知不能 左手血管確保」との記載がある。また右一9で認定したとおり、午前一〇時三〇分のショック時に確認された亡祐子の出血量が約八九〇ミリリットルであることに照らすと、甲第三号証の「子宮内より890gコワグラ、出血あり」との記載は、午前一〇時三〇分ころ被告医院において確認された出血量を、北本共済病院に対し伝達し、北本共済病院の看護婦が、同記載の上行から引き続いて、これを記載したものであり、午前一〇時三〇分に確認された出血の他に午前一一時一〇分に八九〇グラムの出血が確認されたものではないと認められる。
2 また、原告らは、被告が北本共済病院の医師の緊急応援を要請したのは午前一〇時五〇分で、安部医師が被告医院に到着したのは午前一一時一〇分であり、血液センターに輸血用血液を依頼したのは、午前一一時一〇分ころであったと主張する。
しかし、甲第三号証によれば、北本共済病院の入院記録には「一一時二〇分ころ当院へ担送」との記載が、カルテには「一一時二五分ICUへ」との記載が、重症者記録には一一時二五分以降の亡祐子に対する諸処置が詳しく記載されており、午前一一時二〇分ころには、亡祐子は被告医院から北本共済病院に到着していると認められる。そして証人安部の証言によれば、被告医院から北本共済病院までは自動車で約一〇分くらいはかかることが認められ、右事実に、右一のとおり、安部は、被告医院で一定時間IVH挿入や心マッサージ等の諸措置を行っていることを考慮すると、午前一〇時三〇分に亡祐子がショックを起こして後、ほどなく安部は被告から来院要請を受け、午前一〇時五〇分ころには被告医院に到着していたと認めるのが合理的である。また、右のとおり、被告が八九〇ミリリットルの出血を確認したのは、午前一〇時三〇分に病室にかけつけて亡祐子の診察をし、丁字帯に付着した血液の量を看護婦に計測させてその結果を聞いていることから判断すると午前一〇時四〇分から五〇分ころであると推認され、そのころに輸血用血液の手配をしたと考えることは、上尾の血液センターに輸血用血液の依頼をしてから、血液が到着するまで三〇分ないし四〇分以上かかる場合があることも認められる(証人安部の証言、被告本人(第一回)尋問の結果)ので、右血液が被告医院に午前一一時三〇分ころに到着したことと必ずしも整合性を欠くものではないと考えられる。
3 被告は、午前九時四〇分に、看護婦に疼痛緩和のためにボルタレン五〇ミリグラム座薬の投与を指示した後、自らも病室に赴き亡祐子を診察し、かつ原告文孝らと会話をしたと主張し、これに沿う被告本人(第一回、第二回)の供述が存在する。しかし、他方で、同時刻に病室にいた原告文孝、島田トヨは、<書証番号略>及び原告文孝本人供述中で真向からこれを否定し、被告は、同時刻に亡祐子を診察していないと主張する。
この点、被告の亡祐子に対する診察の状況に関する供述は具体的であり、現実に診察をしたのではないかとも考えられるが、診察した事実は診療録には記載されておらず、<書証番号略>の入院診療看護記録の午前九時四〇分の欄に「Dr指示にてボルタレン50mg挿入 オロ交換、出血量70g」との看護婦による記載があるのみで、被告が内診をした旨の記載となっていないことなどからすると、被告が同時刻に診察した事実は認定できないものといわざるをえない。
三 死因について
1 亡祐子の死因について、原告らは、弛緩出血又は頚管裂傷あるいはその併合による出血性ショックであると主張し、被告は、肺塞栓又は羊水塞栓の可能性がもっとも高いと主張する。
2 <書証番号略>、鑑定の結果及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。
本件において、亡祐子は分娩後にショックを起こし死亡しているところ、このような産科ショックとしては、大量出血が原因となって発生する血原性ショック(出血性ショック)、子宮破裂等で激痛を伴う神経性ショック、羊水塞栓、肺動脈血栓等の血管原性ショック、心原性ショック、混合型のショックがある。
出血性ショックの原因としては、分娩後の子宮収縮不良による弛緩出血が最も多く、その他頚管裂傷等の軟産道損傷、子宮内容遺残、前置胎盤、子宮破裂などがあげられる。
弛緩出血とは、産婦について、分娩後、胎盤が剥離し、子宮内の同部分の血管が露出するものの、通常は、子宮筋が収縮することで血管の断端が閉鎖するところ、子宮筋弛緩のため、子宮筋収縮による子宮内血管の圧迫、狭小化、血流緩除化による止血機序が正常に営めず、異常な出血をきたすことをいう。このとき、子宮体は弛緩し、子宮底は高く、胎児・胎盤娩出後、やや時間をおいてから突然の出血が起こり、その出血は暗赤色で、間歇的に出血する。なお、まれに出血血液が子宮内血腫を形成し、外出血がわずかの場合もある。
頚管裂傷とは、子宮膣部から頚管にわたって起こる裂傷で、臨床症状を呈するものであり、多くの場合、子宮口が全開して、そこを胎児が通るときに形成され、胎児娩出直後、胎盤娩出前から出血が開始し、その出血は持続的である。出血した血液は鮮紅色を示すことが多い。
3 右2のとおり、頚管裂傷は、子宮膣部から頚管にわたって胎児が通る時に形成される裂傷であり、多くの場合、胎児娩出直後から出血が始まり、また、内診所見等によってこれを容易に診断することができる場合が多いことが認められるところ、本件は、午前五時二八分の胎児娩出時の出血は、二〇〇ミリリットルと通常の量であり、分娩時の被告による内診においても頚管に裂傷は認められなかったのであり、その後も午前一〇時三〇分までの出血は、午前七時に五〇ミリリットル、午前九時四〇分に七〇ミリリットルが確認されただけであり、特に多量の持続的な出血があったとは認められない。また、午前六時三〇分の亡祐子の血圧は正常であり、同人は車椅子とベッドとの間を自力で歩行できている。さらに、午前一〇時三〇分ころに被告が確認した膣内の凝固した血液は暗赤色の血液が大部分であった。これらの亡祐子の出血状況等からすると、亡祐子の出血が頚管裂傷によるものである可能性は極めて低いと考えられる。
4 他方、弛緩出血は、胎盤娩出後、子宮の収縮が弱いため発生するものであり、鑑定の結果(鑑定補充書一頁)によれば、一度収縮した子宮が再び弛緩する可能性もあることが認められる。
本件では、右のとおり、被告は、午前五時三〇分及び午前六時三〇分ころ、亡祐子の子宮の収縮状態を確認したが、異常はなかったこと、そのころの出血量は格別多くないこと、その後も、午前一〇時三〇分までの間に、二度にわたり悪露交換を行っているが、特に異常な出血は認められず、異常を疑わせる徴候はなかったことなどから、分娩後、少なくとも一度子宮は収縮したものと認められる。しかし、前認定のとおり、亡祐子の膣内から、午前一〇時三〇分ころ、合計約八九〇ミリリットルの出血が確認されているのであるから、分娩後五時間余り経た午前一〇時三〇分ころまでに、一度収縮した子宮が弛緩し、出血をもたらした可能性も考えられる。しかしながら、本件においては、同時刻ころの子宮の収縮に関する証拠もないから、同時刻ころ確認された右出血が弛緩出血であったと断定することはできないものといわざるをえない。
5 また、本件の場合、右一に認定したとおり、記録上認められる亡祐子の総出血量は約一二一〇ミリリットルである。鑑定の結果によれば、約一二一〇ミリリットルの出血があった場合、合併症を併発することはあるものの、不可逆性のショックを惹起することは少ないことが認められる(鑑定人の補充鑑定書一〇頁)ので、総出血量だけから考察すると、亡祐子が出血性ショックであったと直ちに断定することはできないと解される。
6 なお、平成二年一二月一九日付け死亡診断書<書証番号略>及び平成三年二月一二日付け診断書<書証番号略>において、安部は、亡祐子の直接死因は心不全であり、その原因は出血性ショックとし、<書証番号略>では、経過として子宮出血がある旨を記載するが、安部証言によれば、安部は産婦人科医でなく、亡祐子の子宮の収縮状態等を確認したわけではなく、ただ、死亡診断書の作成を依頼され、分娩後、出血があり死亡したため、出血性ショックではないかと思い、右のように記載したことが認められ、右記載により、直ちに亡祐子の死因が出血性ショックであったと断定することはできない。
7 他方、被告は羊水塞栓、肺塞栓の可能性を述べるが、これらは具体的な根拠があるのではなく、弛緩出血、頚管裂傷が考えられないことから、これらの死因が考えられるとしているにとどまり、右被告の主張を認めるに足りる証拠はない。しかし、鑑定の結果(鑑定書)によれば、亡祐子については、プレショックの状態によって誘発された急性肺動脈血栓症の合併によって、ショックが不可逆性に憎悪した可能性もあるというのであり、死因としてこれらの血栓症等の可能性がないわけではないことが認められる。
8 結局、亡祐子の死亡原因は、解剖が行われなかったこともあり、本件全証拠によっても確定できないものといわざるを得ない。
四 被告の注意義務違反について
以上のとおり、亡祐子の死因は確定できないのであるが、死因が確定できない場合であっても、被告に注意義務違反があり、これが亡祐子の死亡の原因となるときには、被告に損害賠償責任が発生する余地があると考えられるので、以下検討する。
1 監視義務違反について
原告らは、被告が午前六時三〇分以降午前一〇時三〇分ころまでの間、亡祐子を自ら診察せず、また看護婦に対しても、脈拍、血圧等の測定を指示していなかったことが、監視義務違反になると主張する。
そして、<書証番号略>によれば、産婦は、分娩後二時間は、異常出血などの危険性が高く、分娩室で、脈拍、血圧、呼吸、体温、出血の有無、子宮収縮状況について十分に観察することが医学上妥当な措置であるとされている。
しかしながら、このことは、形式的に、右時間中、医師がこれらのことをすべて自ら行う必要があることを意味するものではなく、産婦の状況、病院の態勢に応じて、産婦に対して、実質的に右内容と同程度の措置を執り得る状況にあれば足りるものと解するのが相当である。
本件では、分娩後約一時間で、被告は、亡祐子を分娩室から病室に移動させ、その後、午前一〇時三〇分まで、特に被告自身による内診等は行っていない。しかし、右のとおり、被告医院は、個人病院であり、一階に外来の診療室が、二階に病室、分娩室等があり、三階が被告の自宅であること、被告は、午前六時三〇分から午前一〇時三〇分まで、同建物の一階又は三階にいて、いつでも異常事態に対処できる状況であったこと、午前五時三〇分ころの分娩の際、子宮の収縮、出血量、内診の結果等に異常は認められず、午前六時三〇分に被告は自ら子宮の収縮状況を確認し、血圧、脈拍等の測定の結果も特に異常はなかったこと、亡祐子も短い距離だが自ら立って歩くこともできたこと、被告は、帰室後亡祐子の痛みや出血の状況に注意するように看護婦に指示していたこと、その後、看護婦が午前七時及び午前九時四〇分に亡祐子の悪露交換し、その際にも異常な量の出血等の異常は認められず、午前一〇時にも亡祐子が入眠中であることを確認していること、午前一〇時三〇分に亡祐子がショックを起こして後、被告は直ちに病室に赴き、亡祐子に対する措置をとっていることが認められる。
このような亡祐子の経過、被告のした行為、被告の態勢等に照らせば、被告は必要な監視を行ったと認めるのが相当である。また、前記のとおり、亡祐子には午前七時以降も疼痛があったにもかかわらず、被告は午前六時三〇分以降午前一〇時三〇分まで、自ら亡祐子を診察していない(前記のとおり、被告が午前九時四〇分に診察した事実は認定できない。)が、被告医院の右態勢、分娩後の疼痛自体は異常ではないこと及び出血量や血圧等の分娩直後の亡祐子の右順調な状態に照らせば、これらのことが直ちに監視義務に違反するとまでは認めることができない。さらに、原告は、亡祐子の状態(高血圧症等)及び使用した薬剤等から、被告は出血に関して厳重に監視すべきであったと主張し、確かに<書証番号略>によれば、患者に妊娠中毒症又は分娩時にプロスタグランディン・オキシトシン点滴などの反復使用例の場合は出血が起こるかもしれないという考え方を持って経過を見ることが必要であると記載されているが、前認定の亡祐子の状態に照らし、右が直ちに、被告の監視義務違反を認定させるものではない。
2 救急義務違反について
原告らは、また、亡祐子が、午前一〇時三〇分ころショックになって後、被告には、救急義務に違反する行為があったと主張する。
<書証番号略>及び鑑定の結果を総合すれば、ショックになった場合、原因把握のほか、まず、心肺蘇生を含めた緊急処置が必要であり、気道確保、酸素投与、静脈確保等を行う必要があることが認められる。
本件において、前記のとおり、被告は、午前一〇時三〇分ころ、亡祐子がショックになって後、原因把握のため、膣内から血液等を掻き出し、その量を測定するとともに、直ちに酸素吸入、静脈路の確保のための点滴を開始し、ほどなく、北本共済病院に応援の医師を、上尾の血液センターに輸血用血液の搬送を依頼し、また、気道確保のための挿管を試みる等、一定の救急措置をとっていることが認められる。
原告らは、応援医師及び輸血用血液の依頼時刻及び気道確保開始の時刻が遅延したと主張するが、これらの時刻が原告ら主張の時刻でなく、原告らの主張に理由がないことは右二で判断したとおりである。また、気道内挿管について、被告がこれを試みていたのは午前一一時前後であることが認められるが、被告医院の規模や午前一〇時三〇分以降被告のとった各措置に照らし、そのことのみで、被告に救急義務違反が成立するとまでは認められないとするのが相当であり、右に記載したような被告のとった諸措置を考えると、被告は一応の救急義務を尽くしたと認めるのが相当である。
3 したがって、本件においては、注意義務に違反する行為が認められないとするのが相当である。
第四 結論
よって、原告らの請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないことになるから、いずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山﨑恒 裁判官窪木稔 裁判官柴田義明)